かもしれないブログ

そうだったら良いなと思うことを書いています。

伏線上のチャッピー

子供の頃の遊びといえば、ぬいぐるみ遊びだった。遊び相手は妹や友達だ。

 

妹のシルバニアファミリーとか、大きい怪獣のぬいぐるみとか、僕の好きだったチャッピー(ピクミンに出てくるかわいいモンスター)のぬいぐるみを使って、自由に遊んだ。

 

やり方はこう。まずはあらかじめ、最初の設定(人形の家族構成だとか)を決めておく。あとはそれぞれが自分のぬいぐるみを勝手に動かして即興でストーリーを作っていく。それだけだ。

 

登場キャラクター達は、遠足に行ったり買い物をしたり、おままごと的な家庭ストーリーをなぞる。でもそのあとの展開として多かったのは、協力して怪獣を倒したり、チャッピーをペットとして飼ったりすることだった。ぬいぐるみのおままごとに、ファンタジー要素、アクション要素を取り入れたのだ。男女入り混じる兄妹ならではの遊びだった。

 

僕は「ピンチでこいつが助けに来たら面白いな」とか、「このシーンでさっき死んだあのキャラが復活したら面白いな」とか、子供なりにどう面白くできるか考えた。今の言葉で言うと、伏線を張っていたのである。でもその伏線を回収するために妹のキャラをピンチに陥らせたり、殺したりするわけだから、当然伏線を知らない妹たちは怒る。妹たちのキャラが僕の思い通りに動いてくれないこともあって、よくケンカもした。

 

小学校低学年くらいまでこの遊びをやっていたような気がする。子供の頃の遊びについて今の友達と話すことも多いけど、こんな遊びをしていたという友達は聞いたことがない。今思うと、ずいぶん女の子のような遊びをしていたものだ。

 

でもどうやったら面白い演出になるかと考えたり、その場のノリでストーリーをどんどん変えていったりすることって、実はすごく創造力のトレーニングになっていたんじゃないかと僕は思う。

 

今年僕は22歳になる。あのころから15年が経った。今までいろんな遊びとかゲームをしてきたけど、あれほど自由度の高い遊びはなかった。

 

本当に面白い遊びは、どうすれば面白くできるかを自分の裁量で自由に試せて、なおかつ他人のパフォーマンスとの化学反応があって、即興性のあるものなんだと思う。芸人たちのバラエティや、ジャズの即興ライブとかもそう。

 

今、もう一度あの遊びを妹たちしたらどんなストーリーができるだろう。昔は伏線を作る意図を伝えずに妹とケンカした。今ならさりげなく伏線を悟らせて、お互いに相手のノリに合わせて面白いものを作れるような気がする。昔の僕たちをギャフンと言わせられるようなストーリーを作れたら嬉しいな。